88歳の祖母が孫のために作る手料理“おばあめし”。投稿するInstagramでは、祖母と孫の微笑ましいやりとりが話題になっていた。投稿者である孫・大迫知信さんは社会人を経て大学に入学し、お金のやりくりが厳しかった時代に「ごはんぐらいなら、作ったる」と手料理を振舞う、おばあの頼もしさと温かさに触れた。しかし、そんな“おばあ”が今年の2月にコロナに感染してしまう。現在は料理を作ること自体が難しい状況となり、大迫さんは祖母を失うかもしれない恐怖の感情に直面したという。入院先の病院や自宅でおばあの療養を見守りながら、どのような想いを抱えていたのか。
【画像】88歳の”おばあ”が孫に作る「おばあめし」、切り身ゴロゴロ…鮭おにぎりが豪華すぎた
■孫のためを想って作っていた“おばあめし”コロナ感染により状況は一変
満月のようにまん丸で大きいおにぎりに、茄子のぬか漬けや自家製梅干しといったおかずが乗っている。ただ乗せられているのではなく、目や口に見立てて「顔おにぎり」になっている遊び心もある。総菜のから揚げで作った酢豚ならぬ「酢鶏」、なぜかイワシと鶏の手羽元が一緒に炊かれている煮物か鍋か分からない一品など、独創性に溢れる“おばあめし”。
もともとは大迫さんが2011年に勤めていた会社を辞めて大学に入学したことが、“おばあ”のご飯を食べるようになったきっかけだった。学費や生活費をなんとか貯金でまかなっている姿を見て、「ご飯くらいなら作ったる」と“おばあ”が言ってくれたという。
そこからは日々“おばあめし”を味わい、大迫さんが現在までに食べたおにぎりの数は6000個以上にのぼる。大学院卒業後、本来やりたいと思っていた“物書き”を職業として生計を立てられるようになり、今度は大迫さんが“おばあ”の生活を見守るように。高齢のため少しずつできないことが増えていっても、料理をする時だけは背筋が伸びる。料理を作ることが大好きな“おばあ”の姿を大迫さんは近くで見続けてきた。そんな矢先、“おばあ”がコロナに感染し、状況は一変してしまう…。
――今年の2月におばあさまがコロナに感染し入院されていたとのこと。病状を見守っていたときは、どのような気持ちでしたか?
【大迫知信】その日、おばあは自宅の床で横になったまま、起き上がれなくなっていました。その様子を見て、「恐れていたことが起こってしまった」と…すぐに救急車を呼びました。ところが、なかなか受け入れ先が見つからず、最悪の自体も頭に浮かびました。僕は、救急隊員の問いかけにうまく返答できないくらい動揺していて、ストレッチャーに寝かされたおばあのほうが、はっきり答えていたのを覚えています。
――それはなんとも不安な時間でしたね。
【大迫知信】しばらくして、なんとか大きな病院に受け入れてもらうことができました。結局、おばあは陽性で軽症に近い中等症と診断され、そのままコロナ専用病床に運ばれ、10日間入院しました。入院中は面会禁止でどんな状態かわからず不安でしたが、悪化することなく退院できたのは不幸中の幸いでした。
■「これからは自分がかわりに作る!」 “おばあ”のために料理を作ることを決意
退院後は体力がガクッと落ち、“おばあ”は台所に長時間立って料理をすることが難しくなってしまった。大迫さんは病み上がりの“おばあ”を看病するために「これからは自分がかわりに料理を作る!」と決心したという。
――料理をすることが大好きだったおばあさまが、ご飯を作れない状態になるのを目の当たりにしてどのように思いましたか?
【大迫知信】いつか「こういう日」が来るとは思っていました。ですが、実際におばあの手料理が食べられなくなるのはショックでした。僕が会社を辞めて再び大学生になった2011年から、かれこれ10年以上。子どもの頃も含めると、さらに長い間おばあの料理を食べてきたわけですから。
――大迫さんは料理に自信はあったのですか?
【大迫知信】「かわりに作る!」と威勢よく決意したものの、料理の経験はほとんどなく、初めは途方に暮れました(笑)。虚無感もありましたが、そこは自分がなんとかするしかないので、とにかく気持ちだけでも奮い立たせて、勢いで料理を始めました。
――病み上がりのおばあさまのために、たくさん料理を作られたとのこと。実際に料理に挑戦してみて、どのような気づきを得たのでしょうか?
【大迫知信】毎日料理をすることの大変さと喜びに気づきました。あと、おばあの偉大さにも(笑)。誰かのために料理を作るとなると、いつも同じメニューというわけにはいきませんよね。僕が作る相手は病み上がりで高齢のおばあですから、食べやすくて体にいいものを出したい。そもそも味にうるさいおばあに美味しく食べてもらうにはどうすればいいのか…。いろいろと考えながら買い物に行って料理をすることは想像以上に大変でした。
おばあも僕の健康を考え、毎日工夫を凝らした料理を作ってくれていたんですね。しかもどの料理も美味しかった。そんなことに気づき、改めて感謝せずにはいられませんでした。
――体験しないと得られない想いだったかもしれないですね。
【大迫知信】どうして長年おばあは文句も言わず、手間ひまをかけて料理を作ってくれていたのか。その理由も理解できました。出した料理を「美味しい」と言って味わってくれること。それがこんなにもうれしいうえに、「もっと美味しいものを出したい!」とやる気も湧いてくるなんて、実際に作ってみるまで思ってもみませんでした。
とはいえ、グルメなおばあの味の評価はなかなか厳しいです(笑)。その分「美味しい」というひと言がモチベーションになっています。
■体は小さいが大いなる力を感じる “おばあ”が見守ってくれている安心感に救われた
――“おばあめし”のなかで、特に大迫さんが好きで、自分でも再現できるようになりたいと感じるものは?
【大迫知信】再現したいおばあの味は「牛すじ入りカレー」です。これは特別な技術がいるというより、時間を惜しまずじっくり丁寧に作らないと、とても同じ味は再現できません。
牛すじは何度か茹でて、余分な脂を抜く下処理が必要ですし、弱火でじっくり炒めた大量の玉ねぎも入っています。それにルウを何種類かブレンドし、じゃがいもやニンジンを形がなくなるまで長時間煮込んで完成します。
――かなり手間がかけられていますね。
【大迫知信】だから、1日目なのに2日目のカレーのような深い味わいになるんです。牛すじもカレーの具材にぴったりで、いくら煮込んでも固くなりませんし、いいダシが出てカレーに牛の旨味をプラスしてくれます。一度食べたら牛すじなしではちょっと物足りなくなりますよ。何時間もかかるので、おばあに教えを請いながら休日に挑戦してみたいです。
――大迫さんにとって、おばあさまの存在とは?
【大迫知信】僕を見守りながら、前に進む力を与えてくれる大きな存在ですね。体は小さいですが、奈良の大仏を見上げたときのような、大いなる力を感じるときがあります。顔つきも似ていますし(笑)。
――おばあさまとの忘れられないエピソードなどはありますか?
【大迫知信】僕が文章を書くことを仕事にしようと、会社を辞めて大学に入ろうかと悩んでいたとき、知り合いからはことごとく反対されました。だけどおばあは、僕の選択を受け入れ、料理を作って支えてくれました。食うに困らないこと以上に、おばあが見守ってくれているという安心感が背中を押してくれたんです。
――とても心強い味方ですね。
【大迫知信】僕はおばあのちょっと変わった料理を「おばあめし」と呼び、ブログやインスタで発信し続けてきました。ほかの人には書けない独自のテーマを探っているうちに、「おばあめし」に行き着いたんです。
初めは本になることまでは考えていませんでした。それが、ようやく執筆することができた書籍のタイトルが『おばあめし』ですからね。大げさではなく、おばあの応援がなければ今の僕は存在しなかったです。
――今後は“おばあめし”について、どのような発信をしていきたいですか?
【大迫知信】おばあがひとりで作る「おばあめし」は難しいかもしれません。だけど、料理の仕上げや決め手の味付けなど、手を加えることはできます。それに、おばあに料理を教えてもらい、味を受け継ぎながら、これからは僕がおばあに料理を作る番だと思っています。
その過程を手探りで発信している最中です。おばあの料理のように、見た目にインパクトがあって味も絶品…とは簡単にはいきませんが、温かく見守ってもらえたらうれしいです。
――おばあさまに対する想いは?
【大迫知信】おばあには、とにかく楽しく穏やかな気持ちで過ごしてもらいたいと思っています。手足が動かしづらくなって、できないことも増える一方ですが、まだまだ僕のほうが元気をもらっています。だからこれだけは言わせてください。長生きしてや、おばあ!
September 26, 2022 at 01:30PM
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