2019年11月、第23回ハリウッド映画賞にプレゼンターとして参加したアリシア・キーズ。Photo: Kevin Winter / Getty Images for HFA
2013年、シンガーソングライターのアリシア・キーズはアメリカ『ピープル』誌の取材に対し、幼少期に初めて死と直面した体験をこう語り始めた。
「母の友人がエイズで他界した時、私は8歳か9歳でした。すでに物心がついていたので、2度と彼と会うことができないことは理解していました。けれど母はなぜ彼が亡くなってしまったのかを、私に説明できずにいました」
アイルランド系イタリア人の母とジャマイカ出身の父の間にニューヨークで生まれ育った彼女は、7歳の頃からクラシック音楽の教育を受け、以後、R&B、ポップ、そしてジャズまで幅広いジャンルに親しんだ。’01年にデビューアルバム『Songs in A Minor』をリリースすると、翌年のグラミー賞で最優秀楽曲賞を獲得したほか、新人賞など5部門を独占。続く’03年のアルバム『Diary of Alicia Keys』からは、彼女の代表曲「If I Ain’t Got You」等のヒットシングルを連発し、’04年MTVビデオミュージックアワードの最優秀R&Bビデオ賞を受賞した。そして’13年の第47回スーパーボウルでは国歌斉唱を務めるなど、世界的歌手として揺るぎない地位を確立している。
「私が生まれたのは、1981年。HIVの感染がアメリカで広まり始めたころで、その数年後に母の友人が他界しました。ですが、当時はまだこの病について、ほとんど知られていませんでした。大多数の人は、どうしたら感染するのかを知らず、だからHIV罹患者と付き合ってはいけないという間違った認識が流布していったのだと思います。その後この病気の研究が進むにつれ、正しい知識を身につける機会が増えたものの、未だ社会的な偏見の対象にされることが少なくありません。とても心が痛みます」
南アフリカが人生を変えた。
2011年に国連本部で行われたAIDSカンファレンスに出席し登壇した。Photo: Jemal Countess / Getty Images
プライベートでは二人の息子の母親でもあるアリシアが、HIV関連の慈善活動に熱心に取り組むようになったのには、ある一人のHIV活動家との出会いがある。アリシアが慈善団体「Keep A Child Alive」設立にあたって共同創設者に迎えた女性、リー・ブレイクだ。アリシアはリーとともに、主にアフリカとインドを中心に、HIV治療のための医療体制の構築や、親を亡くした子どもや家族のためにさまざまな支援を提供している。
「リーは30年以上もHIV活動家として尽力している素晴らしい女性です。私が音楽のキャリアをスタートした頃、彼女はHIV啓発のためにマーヴィン・ゲイの名曲『What’s going on』のリメイクを作るため、U2のボノや他の複数のアーティストたちに声をかけていたところで、私にもコンタクトしてくれました。もちろん、嬉しくて二つ返事で快諾しました。振り返ってみると、この時から全てが動き出したのだと思います」
団体設立前の’03年、彼女はリーに誘われて南アフリカに視察に訪れた。そこで彼女は、今も心に深く刻まれることとなるHIVを取り巻く残酷な現実を目の当たりにした。
「そこにはHIVで親を亡くした孤児が大勢いました。子ども達は皆私の訪問に歓喜し、熱烈に歓迎してくれました。中でも忘れられないのが、シシーという女の子との出会いです。彼女自身まだ幼いのに、たった一人で家事をし、小さなきょうだい達の面倒を見ていたんです。本当に、私だったらどうかなりそうな状況でした。でも、唯一の救いは、彼女の眼には生命力に溢れる光があったこと。空想好きでロマンチックな部分にも、何か特別なものを感じました」
少女との運命的な再会。
2019年11月にラスベガスで行われた第20回ラテングラミー賞でパフォーマンスをした。Photo: Lester Cohen / Getty Images for LARAS
それからアフリカを訪れるたび、「シシーはどこ? 元気でやってるかしら?」と気にかけてきたというアリシアは、しばらくしてシシーと驚きの再会を果たしたという。
「驚くことに、成長して南アフリカのラジオ局で働いていた彼女から、インタビューを受けたんです! こんなに嬉しいことがあるでしょうか。どんな状況に置かれていても、彼女は決して学ぶことや前進することを止めなかった。驚異的な精神力を持つ素晴らしい女性になっていたのです」
そして、この旅に誘ってくれたリーへの感謝を口にしながら、こう振り返った。
「もしあの時アフリカを訪れていなかったら、きっと私はHIVが世界中でこんなに蔓延していることに気付かずにいたでしょう」
その後、’05年にはU2のボノとともにチャリティシングル「Don’t Give Up Africa」をリリースし、’07年には自身がホストを務めた一夜限りのチャリティイベント「Black Ball Concert for Keep a Child」で、約240万ドル(約2億4800万円)もの寄付金を集めるなど、数多くの慈善活動を通じてシシーのような子ども達を支援してきた。現在も精力的に活動を続ける彼女は、いち活動家として世界にこんなメッセージを送っている。
「思いやりを持ってHIV患者に接することや、除け者にしないように教えることはとても大切です。実は、このような偏見との闘いは今も続いています。皆がこれらを心に留めることが、HIVとの闘いを一歩前進させるのです。ようやく治療薬もでき、ここまで来たのですから、諦めてはいけません。皆でエイズフリーの時代をつくり上げる事が最大の目標であり、それは実現可能です。私のこの言葉から、少しでも多くの人が学びや共感を得てくれることを願います」
過去の記事はこちら。
Text: Masami Yokoyama Editor: Mina Oba
January 12, 2021 at 05:30AM
https://ift.tt/3q4K9R8
「エイズのない世界を作るために」──HIV患者への偏見や差別と闘う歌手、アリシアキーズ。【社会変化を率いるセレブたち】 - VOGUE JAPAN
https://ift.tt/35vzQLu
Mesir News Info
Israel News info
Taiwan News Info
Vietnam News and Info
Japan News and Info Update
Bagikan Berita Ini
0 Response to "「エイズのない世界を作るために」──HIV患者への偏見や差別と闘う歌手、アリシアキーズ。【社会変化を率いるセレブたち】 - VOGUE JAPAN"
Post a Comment