みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、都内で暮らす漫画家の女性のもとを訪ねました。
ニコ・ニコルソンさん:漫画家。宮城県亘理郡出身。東京都在住、ひとり暮らし。代表作に『ナガサレール イエタテール完全版』(太田出版)、『マンガ認知症』(ちくま新書 大阪大学教授・佐藤眞一との共著)など。現在『Kiss』(講談社)で『古オタクの恋わずらい』を連載中。
古い商店街に近いニコさんのお宅は角部屋で、窓が大きかった。光がたっぷりと入り、すみずみまで明るい。作画用の大きなタブレットを使いこなして、てきぱきと作画されていく。
「ここに越してきたのは7年前ぐらいですかね。『描くための場所!』みたいな思いで借りたんです」
住居兼仕事部屋というより、仕事部屋が住まい――なんて言っては失礼かもだが、作画用の机が家の中心にドンとあって、存在感を放っていた。他にはベッドとアロマディフューザー、まとめ買いされてあるミネラルウォーター、そして流しの脇に花が一輪。ラナンキュラスだった。
自分に必要なものを絞りぬいて、シンプルに暮らしている感じ。
「だからイスもひとつしかなくて。すみません、あの……これに座ってください」
差し出されたのは、バランスボール。青色だった。
ちなみにニコさん、ニコルソンなんてお名前だが、日本人。生まれも育ちも東北地方の宮城県なんである。
「特に理由はなく、なんとなく付けたペンネームなんです。深い意味はないんですよ」
苦笑しつつ、食事の用意にかかる。
「鍋は疲れてるときや寒い日、野菜をとりたいときによくやりますね」
そう言って、冷蔵庫からカット野菜を取り出す。そしてチルドの餃子と、小分けになった春雨も。
ああ、「ホソヤ」(千葉県の食品メーカー。関東のスーパーではわりにおなじみの商品)の餃子は私もよくお世話になっている。シュウマイも手頃でおいしいんだよな。
ギョウザやシュウマイは鍋の具にすると、スープのうま味増しにもひと役買ってくれるんだ。
「そうなんですね! 今度シュウマイも買ってみよう」
鍋にカット野菜と餃子を入れて、ひたひた程度に水を加える。
「フタをして火にかけて、しばらく放っておけるのが鍋のいいところ。普段なら作画に戻ってますよ。煮えるまでにまたちょっと描けますからね」
貴重なお仕事時間に、すみません。このときニコさんは5月出版予定の新刊準備もあり、特に忙しい時期のようだった。
「だからこそ健康第一で。自分の身は自分で守らないと」
忙しくても食事は抜かない。体を動かすことにも意識的で、ジムにも通っている。先のバランスボールは体幹を鍛え、背筋を伸ばすために購入した。
「あ、キノコも入れるんだった! よく忘れちゃうんですよねえ、安いときに買って冷凍しておくんですけど」
マイタケとブナシメジを鍋中へ。キノコは冷凍のきくありがたい存在だ。汁の香りや栄養もよくなる。
春雨も入れて、鶏ガラスープの素、酒、少々の塩で味つけ。しばし煮て、完成だ。薄めに味つけしておき、飽きてきたらナンプラーを加えて味変も楽しむ。
原稿を書いていた机は食事スペースにもなる。
目の前に積まれているのは雑誌で、作品の資料。舞台は1995年、高校を舞台にした漫画を連載中だ。主人公はアニメや漫画が大好きな女子高生である。
「かつての自分です」
気がつけば、漫画大好きっ子。
チラシの裏を使ったお絵かきも、幼少期から漫画をコマ割りで描いていた。小学校低学年ですでに先生の行動をネタにして作品を作り、周囲を笑わせる。
「反応を見て『あ、こーいうのがウケるんだ』と考えてたりしてましたね。自分の漫画で笑いが取れることに手ごたえを感じて」
プロになる人というのは、「〇〇になろう」と決めて始めるのではなく、考える前にやり始めている人が多い。ニコさんもそのひとりなのだった。
初恋の相手は『幽☆遊☆白書』や『SLAM DUNK』のキャラクターたち。漫画を読んでは刺激を受け、自分の作品を創り続けた青春時代。
だが誰しも、学生のままではいられない。
「プロになるなんて無理!と思い込んでました。専門学校を卒業して就職しかけるんですけど、やっぱり絵に関わる仕事がしたくて、上京したんです」
得た仕事は出版社のアルバイト。ここから道が開けていく。イラストを描けることが知られ、誌面のカットを頼まれるように。
ブログを始めたところ、その面白さが評判になってテレビで紹介される。
「何か一冊作りましょう」と編集者から声をかけられて、商業デビューしたのが2008年。今年でプロになって14年目だ。
ニコさんは独立するまで、母と祖母との三人暮らし。
食事といえばずっと祖母の手作りで、ふたりの繋がりは強い。彼女のことは婆(ばば)と呼んでいる。
「19歳で家を出るまで、料理ってまったくしなかったんです。今になって婆がやってたこと、言ってたことがだんだん分かってきて。サトイモの皮をむくとき、婆もよく面倒くさいと言ってたなあ…とか。好きでしたね、婆の料理。ジャガイモをバターと牛乳で煮たのとか、おはぎとか」
料理といえば独学で、レシピ本やネットを参考にして覚えてきた。仕事に注力したいから、なるたけ手間のかからない料理をメインに日々をまかなっている。ただ、時には手をかけた料理を作りたくなることも。
「特に仕事が忙しいとき。レシピのとおりやれば、料理って必ずおいしくなるから嬉しいんです。漫画ってそうはいかないから」
料理をすることで、気持ちをほぐしたり、自分がほぐれたり。家での料理って、時にそんな良さももたらしてくれる。ニコさんは、たまに“婆”さんの得意料理を作ってみることもあるようだ。
「鶏肉とネギのおじやとか、大根の葉のふりかけとか。婆は目分量でやってるからレシピもなくて、絶対同じ味にはならないんですけどねえ……」
ねえ、という語尾にちょっと悔しいような思いと、懐かしさがない交ぜになったものを感じた。“婆”さんは現在、認知症で施設にいる。
後日、ニコさんが描いた「婆の味噌汁」の絵を目にする機会があった。
細切りの大根がいっぱいに入った味噌汁の絵は、とてもおいしそうで、きらめいていて。食べたこともないのに、“婆”さんの味がなんだか分かったような気がして。ニコさんはもうじゅうぶん“婆”さんの味を表現できている。そう思った。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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〝婆〟を思い出す漫画家の料理「同じ味にはならないんですけどねえ」
March 23, 2022 at 04:51AM
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