2018年7月、日本代表監督の就任会見で、森保一は何度も同じ言葉を口にした。「日本サッカー界全体の発展につなげたい」。常に勝利が求められる重責を担い4年4カ月。未来を見据えた視線がぶれることはなかった。
守備の要に成長した冨安健洋のアーセナル移籍は、森保の英断がなければ実現しなかった。昨年8月、ワールドカップ(W杯)アジア最終予選初戦のオマーン戦を目前にして、冨安のもとにオファーが届いた。日本代表がクラブに優先して拘束力を持つ期間でも招集を見送った。「可能性の芽をつんだら、今後の彼の成長を止めてしまうかもしれない」。森保らしい、選手に寄り添った理由だった。
主将の吉田麻也(シャルケ)は、「本気で選手を思ってくれる、数少ない監督の一人が森保さん。なかなかできる決断じゃない」とうなった。結果として冨安を欠いた日本は初戦を落とし苦境に陥った。
森保は信念を曲げなかった。その後も移籍直後の選手はあえて代表に呼ばず、クラブや新しい環境になじむ猶予を与えた。結果が出なければ自身の首が飛ぶかもしれない中で「選手が成長すれば、自然と日本サッカーに利益をもたらす。すべて本人、所属チーム、日本サッカーのためにつながる」との思いを貫いた。
昨年12月、元日本サッカー協会会長の川淵三郎は、Jリーグの年間表彰式「Jリーグ・アウォーズ」で森保から意見を求められた。
川淵が「ベテランに遠慮しすぎているんじゃないか?」と指摘すると、森保は「ぼくは冷酷な男です。そんなことは一切考えていません」と答えた。そして、こう言葉をつないだ。「川淵さんは、僕がダメなら(今後の日本代表で)日本人監督は使われない、と心配しておられるのでしょう。僕はそれも十分理解したうえで戦っています」。感心した川淵は「大したやっちゃな、と。腹が据わってる。彼に託すしかないと思った」という。
カタール行きのチケットを、まだつかんでいなかった当時、日本代表を新チーム発足からW杯出場権獲得まで全試合を指揮した日本人監督はいなかった。川淵に新しい道を切り開く覚悟を伝えた森保が初めて実現して、本番に臨む。
苦しんだW杯アジア最終予選序盤、森保は吉田や日本サッカー協会会長の田嶋幸三に「もし駄目なら、早く代えてもらった方が日本サッカーのためになる」と辞意を伝えていた。ここでも自身の首は二の次。日本の未来を思っていた。
森保はいう。「結果を出すことが次につながる。日本人に監督を続けていってもらうための、大きな責任を背負っている」。過去最高の8強を目指す大舞台が幕を開ける。=敬称略
(川峯千尋)
November 21, 2022 at 05:22PM
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【人間・森保一】㊦日本の未来を作る 自身の首は二の次で判断 - 産経ニュース
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